kivantium活動日記

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「プロの数学」レビュー 〜大学数学への道しるべ〜

幾何学を学ばざる者、この門に入るべからず」―古代ギリシアの哲学者プラトンは彼の作った学校アカデメイアの校門にこう記していたと伝えられる。数学はギリシアの昔から学問の中心として重要な位置を占めている。その状況は今でも変わらない。小学校に始まる日本の教育プログラムでは全ての人が算数・数学を学ぶことになる。そして、大学入試においても多くの大学で数学が必須となっている。


しかし、高校までの数学教育では数学者が何を考え、どのようなことを大切に思っているのかに触れる機会は滅多にない。高校までの数学では「問題を解くこと」に重点が置かれており、問題が解けるだけの知識を身につけて問題演習を行うというスタイルを取ることが多い。しかし、大学の数学では新たな概念を一つ一つ定義し、その定義から自然に現れる定理を順に示していくという方針で進んでいく。抽象度も格段に上がる。大学数学と高校までの数学の間には大きなギャップがあるのだ。


この記事で紹介する「プロの数学」(松野陽一郎)は数学者(=数学のプロ)の感覚を大学入試問題を題材に解説し、高校までの数学を学んだ者たちに数学者たちが紡いでいる大学以降の数学、すなわち「プロの数学」への道しるべを与えてくれる一冊である。

プロの数学 ―大学数学への入門コース

プロの数学 ―大学数学への入門コース

この本で取り上げられる入試問題は東大・京大の問題、それも小手先の受験テクニックでは解けないような問題ばかりである。大学入試では受験生に差をつけるためにほとんどの人が解ける簡単な問題から、少しの人しか解けない難問まで様々な難易度の問題までが出題される。簡単な問題だと与えられた式を変形するだけでできるものも多いが、難しいものは今までに見たことのない新しい状況に対応する力が求められる。しかし、難しい問題の背景にある数学者が大切にしていることを見抜くことができれば、逆に細かい作業を必要とせずに解答できることもある。この本はそのような入試問題を厳選し、その裏にある大切なことを伝えている。


例をあげよう。「加法定理を証明せよ」という東大の有名な入試問題がある。本書ではこの設問の直前に「一般角θに対してsinθ, cosθの定義を述べよ」という設問があることに注目し、この出題の流れにこそ定義を大切にする数学者の心が現れているのだと説いている。そして三角関数の定義が直角三角形によるものから無限級数による定義へと展開していく様子を描いていき、どの定義をとっても加法定理の証明ができることを紹介している。


数学は学べば学ぶほど抽象度が上がっていく。小学校で習った1+1のような単純な計算であっても、最初は「1つのみかんがあるところにもう1つのみかんを持ってきたらみかんは2つになる」などといった現実世界で起こる出来事と対応させて説明されるが、次第にペアノの公理を用いた抽象的な定義へと変わっていく。みかんによる定義から、0に対する演算による定義に変わるとき、1+1は現実世界から切り離された抽象的なものになる。どちらであっても1+1が2であることに変わりはないのだが、その理論的土台は大きく異なっている。新しい発見があるたびに状況に応じて数学の定義は拡張されていく。しかし、定義が前提として了解されている限り、その場で了解されている定義をもとに話を進めていけるのだ。定義には唯一絶対の正解があるわけではない。そのような「プロの感覚」をこの本は教えてくれる。


本書で扱われるテーマは、先述した定義に関する話だけではなく、線形代数の基礎、ε-N論法、テイラー近似、距離関数などさまざまな分野にわたる。入試問題の解説は足早に済まされ、そこから一歩進んだ数学の世界の話が続いていくときもあるが、作者の解説は丁寧で、初めて接する概念でも混乱することなく読み進むことができる。数学の議論においては不正確な記述を避けようとして詳細に立ち入った結果、煩雑で分かりにくい説明になってしまうことも多いが、この本では「ダソクくん」というユニークなキャラがどこが細かい説明にあたるのかを常に示してくれているため、本質を見失うことなく詳細への理解も深めることができるといううまい構成になっている。「分かりやすい説明」のためにマンガにしたり対話形式にしたりする小手先のテクニックを使うことなく、分かりやすさの王道を行こうとするプロの態度を感じた。


大学入試を控えて出題者の気持ちを感じたい受験生が読むにもよし、大学で少し数学を学んで通った道を振り返りたくなった大学生が読むにもよし、数学から離れてしまったけど数学の感覚を取り戻したいという人が読むにもよし。数学と向き合いたい人におすすめの一冊である。